2016年01月06日

従姉(いとこ)との結婚

従姉(いとこ)との結婚

従姉との結婚って聞くと、禁断の愛を連想してしまいました^^;

でも、この恋は禁断というほどではないみたいです。


従姉に恋をした。

信じられないほど心が痛い。

彼女に会ってから今日まで、一年一年、一日一日、その痛みは蓄積されていき、今は極限だと思う。

それはもう彼女との未来など有り得ないのだと実感してしまったからだ。

二ヶ月前のあの日に。

5年前、母が再婚した。

嫁いで間もない冬のはじめ、嫁ぎ先のお姑さんが亡くなった。

その葬式の最中、彼女と初めて出会った。

彼女は母の再婚相手の姪っ子。

歳は俺よりも2つ上。

しかし小さな風貌のせいか幼く見え、またバタバタした葬式の最中でもあったため、俺は紹介を受けていたにも関わらず彼女の年齢など頭になく、高校生だと思い込んでいた。

だから別段、彼女に意識を払っていたわけでもなく、ましてや当時の俺には結婚を約束していた彼女もいたため、そのファースト・コンタクトはなんてことなく終わった。

俺は母の連れ子ではない。今現在も離婚した父(今も健在)の戸籍に属している。

だから厳密に言えば彼女とは血のつながりどころか戸籍上も従姉弟関係にあるわけではない。

「君さえよければ私や私の子供たち、そして私の親戚たちのことを家族だと思ってほしい。でも重く考えないでね。気を遣わなければならない人間などいないし、みんな君のことをすでに家族だと思っているから」

母が嫁ぐ時、再婚相手の男性が俺に言ってくれた言葉だ。

俺は彼の一言がすごく嬉しかった。

俺が育った家庭環境は親戚付き合いなど希薄だった。

父も母も親類縁者と付き合うことを避けて生きている人間だったから。

だから彼の子供たち(一男一女)や親戚の人たち(彼は6人兄妹だったから一族の数はものすごく多い)がいっぺんに自分の家族になったことが嬉しくてしようがなかった。

そして事実、彼の言ったとおりみんなあったかい人たちだった。

俺はなんの衒も抵抗もなく、彼のことを「お父さん」と呼んだ。

お父さんの育った家庭環境も複雑だった。

お父さんの姓は「太田」だったが、親戚の人たちは「田中」姓だった。

それは田中の6人兄妹のうち、お父さんだけが太田家に養子に出されていたからだった。

しかし両家の交際が深かったため、6人兄妹はほとんど離れ離れになることなく大人になったという。

その話を聞いた俺はますます、この一族の一員になれたことを嬉しく思い、こんな素敵な人たちのところに嫁いでくれた母に感謝すらしていた。

しかしそんな俺の気持ちが、後々自分の障害になるなんて、当時は思いもしなかったんだ。

その年、2000年のクリスマスに、俺は付き合っていた彼女にプロポーズした。

この街では数少ない小洒落た店を予約し(俺は地方都市で育った)大枚をはたいて買ったエンゲージ・リングを彼女の薬指にはめた。

18の頃に両親が離婚し、間近で見せられた彼らの修羅場がトラウマとなっていた俺は、「結婚」なんてものになんの幻想も夢も抱いていなかった。

その俺が結婚する。結婚できる。俺のトラウマは癒されたんだと思った。

満面の笑顔で彼女が言う。

「ウチのお父さんの説得、ふたりでがんばろうね」

彼女は3人姉妹の真ん中で、上・下の姉妹はすでに嫁いでいた。

それゆえにいつも「お前の結婚相手は婿入りできる人間でないと認めない」と、彼女は父親から釘を刺されていた。

俺はプロポーズの前に彼女に言っていた。

「俺の母親は再婚してるから安心だけど、親父はずっと一人身で暮らしている。彼に再婚する意思はないし、この先も独身でいるだろう。だから俺は君の家に婿入りするわけにはいかないんだ」

彼女は俺の気持ちを快く汲み取ってくれた。

「お義父さんも一緒に幸せになろうね」

そんなことも言ってくれた。幸せだった。

この幸せな気持ちさえあれば、彼女のオヤジさんもきっと説得できると、自信を持っていた。

それからまもなくのある日、俺は彼女の実家に挨拶に行った。

オヤジさんは渋い顔つきをしていた。


途中で話が飛んでいますが、結婚を約束していた最初の彼女さんとは別れてしまったようですね。

説明が省かれていたので、少しだけ混乱してしまいました^^;

末永くお幸せに★
posted by アフロディーテ at 02:03 | キュンキュンする話
2016年01月01日

ツンデレな彼の優しさに萌えた 寒い日の温かい紅茶

ツンデレな彼の優しさに萌えた 寒い日の温かい紅茶

ツンデレは、「ツンツン」と突っぱねるだけではダメですよね。

「デレ」の優しい部分こそ大事なんですから(^^)/


深夜に寒い中いきなり会いに来てくれた

温かい紅茶をぶっきらぼうにくれたところにすごく萌えたw


ぶっきらぼうな優しさって、素敵ですよねー♪

昔でいうところの高倉健さんみたいな不器用さ(古すぎる?笑)はカッコいいですね(*^_^*)
posted by アフロディーテ at 12:00 | 恋人にちょっとドキっとする瞬間
2015年12月20日

切なくあり温かくもある話 好きな人の死

切なくあり温かくもある話 好きな人の死

好きな人がもし助からない病気だったとしたら・・・どれだけ辛い思いをするのでしょうか・・・・

いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。

その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、仕事もあったのに毎日病室に訪れ付き添った。

結婚の約束もしていたんじゃないかな。

食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。

そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。

「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、幸せな家庭築くんだろーな」

なんて、見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。

普通にうらやましかった。

しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。

みるみるやせて、目ばかりぎょろぎょろになって、身内のわたしでも正視できなかった。

はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。

でも彼女はずっとそばにいた。従兄弟のやせ細った手を握って、抗がん剤の影響で、ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を作ったり。

わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで病室に入っても、彼女の後姿ばかり見ていた気がする。

従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかりしゃべった。

彼女は笑顔で、「絶対いこーね」「わたしあれ食べたい」とか、いってた。

気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。

今、思い返せば、彼女はほかにどうすることもできなかったんだと思った。

彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。

年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。

従兄弟は最初の意識不明に陥った。

医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。

苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」ときっぱり。

両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と延命を望んだ。

横で、彼女はだまって、ふるえていた。

薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。

彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、新薬は2人に時間をくれた。

「癌が治った」とはしゃいでいたけど、一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。

最後のときをすごす2人に、両親も親戚もなにもいわず見守った。

春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。

あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。

「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」

彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、手足をさすった。

医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、彼女は従兄弟を抱いた。

何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて「人を愛する」ってこういうことかと思った。

彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。

毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。

従兄弟が死んで数ヶ月あと、勤めていた会社をやめたことを聞いた。

数年たって、墓参りにもこなくなった。

最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。

寂しく思った反面、ほっとした。

幸せになってほしいと思う。


彼女さん、幸せになれたようで本当に良かったです。

従兄弟の方もきっと、天国で喜んでいるんじゃないかな、と思います。
posted by アフロディーテ at 05:41 | 切ないストーリー